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般若心経を味わう十六 [般若心経]

般若心経
はんにゃしんぎょう

般若心経の根本のお経である
「大般若波羅蜜多経」は六百巻もあります。
二百六十五章、一千二百九十七部門に分かれ、
文字数は六十億四十万文字だそうです。

般若心経はここから二百六十二文字の呪文に
要約したものなのです。

そしてもっともっと要約したものが、
羯締羯締波羅羯締波羅僧羯締菩提娑婆訶
の十八文字です。
般若心経のエッセンスが凝縮された十八文字です。
急病や突如危険に遭遇したときに唱えましょう。

弘法大師はこの十八文字の呪文を
「仏様が悟った内容を示しているこの真言は、
あらゆる常識を超えたものである。この真言を
心を込めて瞑想し、これを唱えれば、人間が
生まれながらにして持っている煩悩を除くことが
できる。この一字一字には百千万無数の深い
意味を含んでいるから、心を込めて念ずれば、
生きながらにして仏様の境地に達することができる。
初めの羯締羯締の行動は声聞や縁覚の悟りを
意味し、後の波羅羯締の行動は菩薩の世界に
入ることを意味している。心にいつも迷いを持っている
凡人は、ちょうど旅行者がホテルに宿泊しているような
ものだ。心の迷いの夢が覚めて、本心に返ったとき、
その本心は仏様の本心であり、本来、心が住まうべき
自宅なのである。」とまとめ、説明している。

般若心経の説く根本の考え方は一つは「無」である。
何も無いのである。
二つに「空」である。無限の可能性である。
三つに「六波羅蜜行」である。
無や空を悟っても世の人に尽くす菩薩行という行動を
しなければ、本当の仏様の住む彼岸へはつかないと
いうことです。
この三つを何度も何度も言っています。

観自在菩薩は、私たちに考え方をこう変えてほしいと
願っています。
第一に、苦しいことでも楽しんでできるようにという願い。
第二に、迷いを転じて悟りを開くようにという願い。
第三に、悪いことをやめ、善いことをするようにという願い。
この三つを観世音菩薩のご誓願といいます。
菩薩行根本の精神です。

般若心経の中に二十一回「無」が出てきます。
目的は「離苦得楽」苦しみから離れて楽になること。
そのためには「自分の身体も家庭も財産も、
この世にいる間の仮の姿だから何もないと思いなさい。
といっています。
また「空」は七回でてきます。
目的は、「転迷開悟」迷いを転じて、悟りを開くこと。
無限の可能性があることを理解しなさいといっています。
「般若波羅蜜多」は五回出てきます。
目的は「六波羅蜜行」です。
「いくら人生を無と思い、人生を空と理解しても、肝心の
菩薩行を実践しなければ、極楽の彼岸へは絶対に
着かないよ。」と、いっているのです。

般若心経という真言はとてもフシギな力を持っています。
深くその意味を考え、朝晩読み唱え日々実践すれば、
煩悩を断ち切ることが出来るのです。
呪文の一字一字には無限の神秘的な力が含まれているので、
その功徳によって、自分も利益を得られ、他人にもその利益が
まわし向けられるのです。
日常の心は、広い心となり、自らの生命を生かし、海のように
深い心となって、すべての生命を生かすようになれるのです。

真剣に般若心経を読み、唱え、写経をし、解釈するときは、
必ず、「合掌するというからだの動き」と「唱えるとう口の動き」
と「念ずるという心の動き」という三つの動きを、一緒に行わな
ければなりません。
そのとき、「即身成仏」大生命と小生命は一つに溶け合い、
生きながらにして仏様の境地に入ることが出来るのです。


ポケット般若心経 大栗道榮より

~感謝です☆~

般若心経の一文字一文字の意味が少しでも
わかっていただけたでしょうか。
私も日々精進・・
書き進めながら、ああ・・と反省することが多々あり、
今もそうですが、後戻りしつつも行動していこうと
心に誓いました。

このような機会を作ってくれたすべての創造物へ
感謝します。

ありがとうございます。


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般若心経を味わう十五 [般若心経]

さて、般若心経も最終に近づいてまいりました。

故説般若波羅蜜多呪
こせつはんにゃはらみたしゅ

故に般若波羅蜜多の呪文を説く

般若波羅蜜多という言葉がこれで5回でてきました。
重要な意味をもっているからです。
これまでの本文の中に21回も「無」という文字がでてきました。
すべては宇宙から出たものです。
私たちの身体も、私たちが五感で感じるものもすべては
無いもの。
無いことも無いと思えば、欲望も執着心も無くなるだろう。
といっているのです。

般若心経の精神が大宇宙なら、一文字一文字は小宇宙です。
大宇宙から生まれた私たちも小宇宙。大宇宙が大空なら
小宇宙は小空。
空の中には深い真理と無限の可能性が秘められています。
しかし、欲望や執着心がある間はこの宝物は見つけられ
ないまま。
お釈迦様やキリスト、弘法大師と同じ安心を得ることができれば、
永遠の生命を持つことができ、三人の聖者のような意義ある人生
を送ることが出来ます。

私たちの心の蔵に植えつけられている「仏心」という宝の種が
芽を出し、やがて大きな菩薩の木に育っていくには、般若心経の
呪文をいつも口ずさみ、般若波羅蜜多行から自分の行動が外れて
いないか気ををつけることです。

即説呪曰羯締羯締
そくせつしゅわつぎゃーてーぎゃーてー

即ち呪文を説明すれば、行こう行こう

羯締羯締は、行こう!という呼びかけ。
行くというのは二本の足で歩くことで行動することです。
行動を続けるということで「日頃の行い」となります。

最初の羯締は「口の行い」(正しい言葉使い)で、
次の羯締は「心の行い」(正しい心がけ)です。
人間の行いにはまちがいが多いもの。
般若心経を唱えて自分の正しい行いを祈るのです。

波羅羯締波羅僧羯締菩提娑婆化訶
はらぎゃーてーそうぎゃーてーぼじそわか

彼岸へ行こう、みんな一緒に行こう、
みんなそろって悟りの彼岸へ行き着こう

波羅羯締は波羅蜜多羯締で六波羅蜜行という
菩薩の行いをしようということです。
菩薩の行いとは、般若心経を唱えて書き写して、
意味を考えて、人にも教えてあげて、相手が幸せに
なることを念うことです。

波羅僧羯締は、みんなで六波羅蜜行をしようという
ことです。
僧は菩薩の行いをしている人たちの集まりです。
一般大衆のことです。
菩提は、悟りの境地である彼岸のことでした。
なので、これをまとめて
みんなそろって彼岸へ行こう 
ということです。

娑婆訶は、成就する、完成するということ。
菩薩行が完成すると極楽の世界です。

次でいよいよ最終です。
感謝です☆        ポケット般若心経 大栗道榮より


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般若心経を味わう十四 [般若心経]

庭の南天の赤い実が今冬は長く鑑賞できましたが、
とうとうヒヨ?が食べにきてしまいました。
今冬の山の中は豊富に木の実があったのでしょうね^^

是無上呪是無等等呪
ぜむじょうしゅぜむとうどうしゅ

これは最上の言葉であり、これは他に比べようがない
言葉だ

「是は無上の呪です」は、
「この呪文は、人生は苦です。苦を除くためには、
個人の欲望にブレーキをかけなさい。そのためには
八正道を実行しなさい、という菩薩の悟りを説いた呪文です」
ということです。

「是は無等等呪です」は、
「この呪文は何ものにも比べることが出来ないほど、
すばらしい呪文です。菩薩の欲望は凡人の小さな我欲と
違い、仏の心も、自分の心も、大衆の心もみな同じ心なのだ。
大衆の苦は自分の苦なのだから、大衆の苦を一人残らず
救ってあげよう、という、壮大な欲望を持つ菩薩の秘蔵の
呪文なのです」
ということです。

これを仏様の御誓願といいます。

能除一切苦真実不虚
のうじょいっさいくしんじつぷこ

よく一切の苦しみを除くことは、真実で偽りでは無い

この呪文を心から唱えていると苦しみが取れて、
心を覆っていた迷いの霧が、いつの間にか晴れて
ゆくのです。
般若心経の一字一字に深い真理が隠されていて、
呪文を唱えるたびに、真言の力で心が洗われるからです。
それは本当のことです」

口先だけの心がこもっていない呪文はいくら唱えても効果
はありません。
般若波羅蜜多行の一つでも実行して、心からこの呪文を
念ずれば、初めて一切の苦を除くことが出来ます。

「たとえ真実でも相手のためにならないことは言っては
いけません。相手のためになる真実ならば、たとえ相手が
不愉快でも、それを言ってあげなさい」
お釈迦様はこういわれました。これを「方便」といいます。

今日はここまで

感謝です☆
合掌
ポケット般若心経  大栗道榮より


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般若心経を味わう十三 [般若心経]

皆様お久しぶりです。
お元気ですか?

パソコンが動いたり止ったりで、先を急ぎます^^;

故知般若波羅蜜多
こちはんにゃはらみた

般若波羅蜜多を知ることによって

観自在菩薩は「悟りを開いて涅槃に入るためには、六波羅蜜行
という菩薩行をすること」をよく知っているということです。
大菩薩心や小菩薩心という心構えをしっかり決め、四重禁戒を守り、
菩薩の行動基準にのっとり行動するのが六波羅蜜行である。

願いを込めて般若波羅蜜多行を行ずる呪文が、般若心経なので
「誓願」といって、願をかけることが大切です。

菩薩は
一、「衆生無辺誓願度」あらゆる人を救わせてください
二、「福智無辺誓願集」あらゆる知恵と福徳を集めさせてください
三、「法門無辺誓願学」あらゆる法門を学ばせてください
四、「如来無辺誓願寺」あらゆる仏に会わせてください
五、「菩提無上誓願証」必ず涅槃に到達させてください
という「五大願」をかけました。

是大神呪
ぜだいじんしゅ

この般若心経は神妙な真実の言葉

仏様の言葉はすべて陀羅尼という呪文です。
神とは「清浄潔白で偉大なるもの」ということ。
大神呪は、声聞を悟りの彼岸へ渡すための、清浄潔白で
偉大なる呪文なのです。

般若心経という呪文はいつも善の心を失わせないというフシギな
力を持っています。


是大明呪
ぜだいみょうしゅ

これは明白な言葉であり

この呪文は、「この世の動きの十二縁起の道理に基づいて
輪廻してゆく、という菩薩の悟りを明快にした呪文です。」
といっています。

いまから二千五百年の昔、菩提樹の下でお釈迦様は十二月八日
明け方に、悟りを開かれました。
そのとき思わず
「なんとまあ不思議なことだ!人間には誰にも仏の知恵や仏の徳
がもともと備わっているのだ。ただ人々は色々の妄想や、自分の
欲望に執着する心のために、そのことがわからないのだ」と叫んだ。

「仏様の説法を聞くまでもなく、一人きりで自然の移り変わりの中に
いて、自然と人間のかかわりを解明して、悟りを開くこと」を縁覚と
いいます。
この呪文は、この世は十二の因縁により輪廻転生にてゆくという縁
覚の悟りを明快にしたものです。

今日はここまで。
感謝です。合掌~

ポケット般若心経 大栗道榮より


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般若心経を味わう十二 [般若心経]

久々の更新です。
1週間ほどポケット般若心経が見当たらなくて、
レイキで反応を診ると「あるで。見つかる!」て出るんです。
はっ!と思い当たりました!!そして見つかったんです。
職場に持ってってました。物の下敷きになってました。
よかったです。
つい先日の皆既月食はみなさん楽しまれたでしょうか?
ゆっくりと時間をかけて欠けて満ち行く月の姿を堪能
できましたでしょうか?
私は欠け始めと隠れてしまう少し前を見て、寝てしまいました。

20111210月食.jpg

ふたご座流星群も!!!
一つ流れたのを見たのですが、その後なかなか続か
なかったので、それきりで家の中へ入ってしまった・・・
少しで満足してしまうというか辛抱が足らんというか・・・
まあこんなもんですわ☆

では、般若心経の続きに参りたいと思います。


依般若波羅蜜多故
えはんにゃはらみたこ

般若波羅蜜多行をしたがゆえに


般若波羅蜜多行の修行をして涅槃に入る菩薩の
行動基準を「四摂事(ししょうじ)」といいます。
第一「布施」
貧しい人にはお金を、飢えている人には食べ物を、
学問のない人には知識を、手に職のない人には技術を、
施すものを持ってない人は優しい目や顔、思いやりの
心を施すこと。
第二「愛語」
まごころのこもった言葉を話すこと。
第三「利行」
すべての行為が世の中の大衆の利益に繋がるような
行いをすること。
第四「同事」
相手のみになって物事を見たり考えたりすること。


得阿耨多羅三藐三菩提
とくあのくたらさんみゃくさんぼだい

この上もない悟りを得ることができる

阿耨多羅三藐三菩提を得るということはこの上もない
正しい本物の悟りを得るという意味。

私たちが人生に苦悩するのは、「煩悩障」という感情の障り
と、「所知障」という知恵の障りがあるためです。

悟りを開けばどんなことにも執着しないで前後左右上下が
自由に見通せます。
この上もない悟りを得るためには、仏様のような「まことの心」
を持ち、仏様のような「まことの言葉」を話、仏様のような
「まことの行い」をすることです。

悟り・・心扁に五つの口と書く。
この五つの口は眼耳鼻舌身であり、この五つの穴の口を
自分の心の意志の力でコントロールするのが「悟り」です。
正しく物を見て、正しいことを聴き、正しく嗅ぎ、間違った
ことは言わず、正しい行いをし、道理にかなった正しいこと
を考える修行すること。
八正道を一字であらわしたのが「悟り」という文字です。

今日はここまで

感謝です。

合掌。    ・・・ポケット般若心経  大栗道榮・・・


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般若心経を味わう十一 [般若心経]

えらそうな物言い 強く物言う
自分は会話を楽しんでいるつもりでも
受け取り手には楽しく伝わってないことがあるようだ
謙虚な心がたりないのだろう。。。 
伝えたいがためにときに口調が厳しくなることが・・・

これまた精進である・・・

続き・・・

遠離一切顚倒夢想
おんりいっさいてんどうむそう

一切の間違った考え方や妄想から遠く離れなさい

顚倒しているとは、ものの考え方や道理からはずれて
ひっくり返っていることをいいます。

自分だけの欲望を満足させようとして物事を見たり、
考えたりしていると、一切の判断が狂ってしまいます。
つまらない妄想が浮かんで、夢か現かの状態に・・・
そんな心の状態を「夢想」といいます。

顚倒している夢想の人が正常に戻るには、
般若波羅蜜多行の中の禅定という瞑想修行をしましょう。

しかし、この修行中にも顚倒夢想させようと、悪魔が心の中に
入り込んできます。
一匹目は五蘊魔(ごうんま)です。体が健康で精力が満ち溢れて
いると、梵語で摩羅(まーらー)という悪魔に魅入られて、考えなく
ていいことを考えて苦しみます。
二匹目は煩悩魔です。妄想の悪魔。
三匹目は天魔(てんま)です。天邪鬼な悪魔。
いいことをしようとすると、「(恥ずかしいから)やめとけ」と
ささやき善行を妨害します。
四匹目は、死魔です。命を奪います。
衝動的にむやみに死にたくなります。

お釈迦様の修行時にはこの四匹の悪魔のささやきも通用
せず、お釈迦様は成道しました。
執着の心を持たなかったので、さすがの四魔たちも、
取り付くシマがなかったようです。


究竟涅槃三世諸仏
くぎょうねはんさんぜしょぶつ

遂に悟りの境地に達する三世の諸仏は

究竟=究極
涅槃とは波羅蜜多のこと。生も死も無い精神の
安らぎの境地。
三世諸仏は、過去、現在、未来におられる仏様方です。
過去の世担当は、釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩
現在の世担当は、地蔵菩薩、弥勒菩薩、薬師如来
未来の世担当は、観世音菩薩、勢至菩薩、阿弥陀如来
仏様のお名前は千八百七十五もあるそうです。
三世に渡り適材が適所に配置され、それぞれの仏様が
得手に帆を揚げて人間救済をされています。

今日はここまで
合掌・・・
               ・・・ポケット般若心経 大栗道榮・・・


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般若心経を味わう十 [般若心経]

のんびりして過ごしていると、なぜか罪悪感が押し寄せる。
そんなときはホ・オポノポノに般若心経を唱える。
少し気が紛れる。。。

では、続き・・・

心無罣礙
しんむけげ

心にこだわりがない

人の心の動きには、三つの大きな特徴があります。それは、
「厭足心(えんそくしん)」という、もうイヤになったという気持ち。
「愛染心(あいぜんしん)」という、えこひいきのように差別する
気持ち。
「罣礙心」という、引っ掛かりの気持ち。
です。

罣は障り、礙は妨げる。
どちらも「ひっかかる、こだわる」ということの意味です。
厭足心も愛染心も罣礙心から起こります。
罣礙心を多く持っている人は瞬間湯沸し器のように
すぐにカッとなり怒りだすのです。
「心に罣礙無し」というのは、空のような広い心と海のような深い心を
持っているということです。
また、「心に罣礙無く」は、もっとすなおになりなさいということです。

仏様の知恵には、感情がないので自然そのものです。
素直になれば天地自然のものの道理がよく見えてくると
いうことです。

人間の知恵には感情がついてくるので厄介です。
悪い感情が知恵にくっつくと悪知恵となります。
良い感情が知恵にくっつくと慈悲深い仏の知恵となります。
ものに対する執着心は、欲深い心から生まれます。
素直な気持ちを大切にしましょう。


無罣礙故無有恐怖
むけげこむうくふ

心にこだわりがないから恐怖心が無い

空のような広い心と海のような深い心を持っていれば、
何事にもこだわることがないので、恐怖心が起こらない。
人間誰しも不安な気持ちを持っているものです。
特に今まで見たことの無い知らない世界は怖いと感じるものです。
死、なんかはその一つでしょう。
また、色々な欲望に愛着をもち、それを満足させることに執着して
こだわっています。
この願望が叶わなかったら。ということに不安になるのです。

お釈迦様は
「いろんな悩み、恐れから逃れようと思うのなら、多くを望んでは
いけません。足ることを知る者は、地面で寝ても安楽だろうし、
不足を言う者は、天国にいても心をみたすことはないだろう」
と弟子達にいいました。

どんな職場にいようと、そこが自分の修行の道場であり
そこが喜びの世界であると思えることが大切です。

観世音菩薩像はたいてい右手をたてて手のひらを外へ向けています。
それを「施無畏印(せむいいん)」といいます。
『施無畏』は畏れ無きを施すといって、観音様の代名詞なんだそうです。
観音様を拝む人に「こだわりの無い心で一心に拝むなら
私があなたの不安を取り除いてあげよう」
といっているのです。

今日はここまで

合掌

        ・・・ポケット般若心経 大栗道榮・・・


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般若心経を味わう九 [般若心経]

おまたせm(__)m
あっ!?そんなに待っても無かったですか・・・
先週は元気でしたが、県下三大祭?といわれている
加茂大祭にお昼をよばれに^^;?行ってました。
説明すると長くなるので大幅にはしょりますが、
スサノオ神社の氏子である人のお弁当を一緒によばれ、
さば寿司、巻き寿司、煮しめに、卵焼き・・・
惣社宮へのお入りとお遊びを見物してましたのでした。

では続き・・・
これまでは何もかも無いよ。ないからね。ということでしたが、
これからは悟ったらどうなるのか!それからどうするの?
ということが展開していきます!!

菩提薩埵
ぼだいさった

悟りを開いた人

菩提薩埵が本名で、観自在菩薩が略称、菩薩は
ニックネームということです。

菩提は悟り、薩埵は人です。
悟った菩薩は、大菩提心という心構えや戒め、行動基準を
持っています。


大菩提心・・
一、「勝義心(しょうぎしん)」物事の本質を見抜く知恵。
二、「行願心(ぎょうがんしん)」慈悲心。
三、「薩摩地心(さつまじしん)」ゆとりの心。
小菩提心・・
一、「慈」慈しみの心。
二、「悲」哀れみの心。
三、「喜」幸せを与える心。
四、「舎」自分は二の次で、多くの人を救う心。
・・この四つの心構えを「四無量心(しむりょうしん)」といいます。

固い決意でこのような心構えを菩薩は持ち続けます。


依般若波羅蜜多故
えはんにゃはらみたこ

般若波羅蜜多の修行をすることによって

菩薩の行動派全部般若波羅蜜多行です。
行をするにあたり「四重禁戒(しじゅうきんかい)」
という戒めを守っています。
一、正しい教えを捨てて道理に反する邪教を信じてはならない。
二、大菩薩心や小菩薩心を捨ててはならない。
三、誰でも礼を尽くして真剣に仏法を求めてきた人には、
  これを教えることを惜しんではならない。
四、すべての人々に対して、相手の不利益になるような行いは
  してはならない。

菩薩がこの四つの戒めを守っていれば、自然に
一、自らは正しい教えによって、自己の向上を図ろうとする
行動となり、二、ひいては迷える人々を導き、人々に利益を
もたらすような行動となり、三、それが社会悪をなくす活動と
なるのです。

菩薩は苦悩するすべての人々を救うと宣誓し、自分を厳しく
戒めていますが、菩薩行はそんなに難しいことではないのです。
毎日の行動に少し気をつければできることなのです。

三諦円融の教説・・
人生を空と知りつつ、人生を仮と知りつつ、
しかもこの人生を真剣に生きよ!
。。。むむむむ 奥深い。。。

今日はここまで
合掌

        ・・・ポケット般若心経 大栗道榮・・・


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般若心経八 [般若心経]

苦、楽とはなかなか思えず、
しかしそれほど執着することもなく、
日々ゼロポイントへ戻るのであった・・・

さて、続きつづき

無苦集滅道
むくしゅうめつどう

苦しみをなくす、苦しみの原因をつきとめる
苦しみを滅ぼして、正しい道を行く

人生は苦しみだ!とお釈迦様は言いました。
しかし!苦しみを集めて滅ぼすという道があるのです!!
滅ぼすためには、苦しみの種類を集めて分類し、苦しみの
原因を追求する必要があります。

苦しみの種類は、肉体の変化による
生(しょう)、老、病、死の四つの苦痛と、
心の動き(気)による四つの苦痛があるのだそうです。
愛別離苦・・愛する人たちとの思いもよらない死別、
生別の苦痛の気持ち。
怨憎会苦・・怨み憎む人たちとイヤでも顔を合わさざる
を得ない苦痛の気持ち。
求不得苦(ぐふとくく)・・どうしても欲しいと思うものが
あるが、それをいくら求めても得られない苦痛の気持ち。
五蘊盛苦(ごうんじょうく)・・肉体に精気が満ち溢れて
いてもはけ口がないという苦痛の気持ち。

では、これは四苦八苦の苦痛の原因は何か?

それはただ一つ 欲望 である!

欲望は無明といい、生まれる前から備わっている
激しいものだから誠に厄介であるのだ。

仏教ではこの欲望をどれも個体差はありますが、
以下のように見ます。
一つに、食欲、性欲、睡眠欲、財欲、名誉欲の
5つの欲望。
二つに、長生きしていたいという欲望。
三つに、死んでしまいたいという欲望。

欲望が集まって、煩悩となり、煩悩が集まって、
煩悩だらけになり苦しむのです。

では、どのように集めた煩悩を滅するか!

八正道という方法があります。
正しい八つの人生の生き方をすることだそうです。

一、「正見(しょうけん)」正しいものの見方をすること。
ニ、「正思惟(しょうしい)」正しいものの考え方をすること。
三、「正語(しょうご)」正しいものの言い方をすること。
四、「正業(しょうごう)」正しい行いをすること。
五、「正命(しょうみょう)」正しい生活をすること。
六、「正精進(しょうしょうじん)」正しく勤め励むこと。
七、「正念(しょうねん)」正しい信念を持つこと。
八、「正定(しょうじょう)」正しく心を統一すること。

これを発心し、決心して、続けることが大切です。

最後に心に四苦八苦のない人は、これまで説明してきた
集も滅も道も、その必要はないということですね。



無智亦無得以無所得故
むちやくむとくいむしょとくこ

智も無く、亦、得ることも無い、所得無しの心で

無智とは大智ともいい、大きな知恵をもっていること。
大智の智はものの道理をしっていること。
得は得をすること、得をすることに執着すること。
財産や学問にこだわりしがみついていることを所得と
いいます。

自分がどんな風であってもそれに囚われたり、こだわったり
しないことです。
大きな知恵で世の中を見るのが無智であり、物事に
こだわらないのが無得です。
優越感をもって他者を軽蔑したり、善いことをしてもそれを
自慢げに吹聴したりするような人は。無所得の人では
ありません。
人に何かしてあげても、誰にしてあげたかを忘れ、何を
したかも忘れ、してあげたことすら忘れる。この「三忘」が
できる人は「無所得の心を以ってしたが故」なのです。

ポケット般若心経 大栗道榮 

今日はここまで 合掌


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般若心経を味わう七 [般若心経]

すっかり秋めいてきました。
朝晩の冷えること。。
今朝、居間にラグを敷きました。
うちより少し上に住む知人のところは、もうコタツが
登場したようです。

さてさて、般若心経の続きを・・


無限界乃至無意識界
むげんかいないしういしきかい

眼界も、耳界も、鼻界も、舌界も、身界も、意識もない 

眼界=眼に見えるものの世界
網膜に写った文字は神経を伝わり脳の中枢へ運ばれます。
そこへ意という字を書く心がやってきます。
意(こころ)が認識するから「意識」といいます。

読書中に、心が他のことに気をとられていると、内容がさっぱり
理解できないことがありますね。
意(こころ)が視神経の中枢へやってきて眼の世界のことを
認識します。この意識のことを「眼識」といいます。

耳の世界、鼻の世界、舌の世界、身の世界のことを
般若心経では、省略し「乃至」という一言でひっくるめて
しまいます。

聞くは聴くの方です。意(こころ)は声の世界と耳の世界に
入ってきて「耳識」となり働いています。

他、同じように鼻の世界に意が働いて「鼻識」、
舌の世界に意が働けば「舌識」、身の世界に働けば、
「身識」となります。

意(こころ)が精神の世界に入って「意識」として
働いていることを「意識界」といいます。

これまでの説明の中の五感や六感が無かったら、
やっぱり今の今書いたことは何にも無いということです。

眼耳鼻舌身意がないから、色声香味觸法もなく、
眼界、耳界、鼻界、舌界、身界、意識界も無いのだと、
お釈迦様はいっています。
これらの世界を持つ肉体はいずれなくなり、空になるのだから
六感に感じるものにこだわっていてはいけないよ、といって
います。


無無明亦無無明盡
むむみょうやくむむみょうじん

無明も無く、従って亦、むにょうがつきることもない


過去現在未来を通して人生には十二段階に縁が
起こりめぐってくるのだそうです。
これを「十二縁起」といい、「干支」の起源もこれだと
いうことです。
その第一番目が「無明」。世の中の道理に明るくない
ことです。自分で気がつかない、気まま、わがまま、
という盲目的な欲望です。

たとえば、親子喧嘩・・
息子「生んでくれといった覚えはない」
親「生もうと思ってうんだわけじゃない」
生もうと思わなかったのに子は縁あって生まれてきた。
もし子が生まれてなかったら!?
両親は結ばれてなかったことになりますし、この両親は
もともとこの世に存在しなかったかもしれません。

すると、両親が無意識の中に持っている「無明」というもの
もないわけです。それが「無無明」。
とすると、亦無明が盡きるということも無いから
「亦無無明盡」というのです。
むむむ・・・難しい・・・。
おっ!?道榮さんの意訳がありましたので・・
「人は山にはつまずかず、小石か木の枝に躓く。
己のけちな根性が、すべての躓きの元となる。」


乃至
ないし

この乃至は十二縁起の第二番目から第十一番目までを
省略したということ。
第二番目「行(ぎょう)」は、行動すること、行いのこと。
過去の先祖や両親が無明という盲目的本能のままに
行動してきた積み重ねが、よい行いも悪い行いもすべて
習慣力という種=「業(ごう)」になって一人ひとりの心の蔵
に蓄えられます。
そのうちの男女が縁あって結婚し、女性が妊娠すると、
その両親の種(業)が、そっくり赤ちゃんに植え付けられます。

そのときが第三番目「識」です。

受胎後4週間目のころを第四番目「名色(みょうしき)」
といいます。
色は体。赤ちゃんの心は外界の自然現象の
世界を認識する能力を備えます。

受胎後5週間目に入ると「六処(ろくしょ)」という段階に
なります。赤ちゃんの体に眼耳鼻舌身意という感覚器官
が形作られます。

胎内から外の世界へ誕生したときが、第六番目「触(しょく)」
です。
第七番目を「受」といいます。赤ちゃんの目は色を、耳は声を
受け付けますが、心の蔵に植えつけられた業の種が個々違う
ので、赤ちゃんにより受け取り方が違ってきます。

少年少女と成長し、思春期を迎える頃、人やものに愛情を
抱きます。この頃が第八番目「愛」です。
愛情が深くなると、独占したいと執着が起こります。
この気持ちが第九番目「取(しゅ)」です。
取の行動は習慣性となって残りよい行いも悪い行いも
心の蔵に定着してしまいます。
この状態が第十番目「有(う)」の段階。
第十一番目「生(しょう)」は、有が子どもが生まれることにより、
次の世代に伝わってゆくのです。

ついに第十二番目「老死」がきます。
生前の行動の積み重ね、善業、悪業の種を、子孫の心の蔵に
残した死によって、現在は未来へ移行するのです。

・・・ポケット般若心経 大栗道榮 

今日はここまで。
合掌




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